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■ライブレポートNo.3 1995年 リンゴ=スター&ヒズ=オールスターズ 倉敷公演レポート

 1995年 6月19日月曜日は,梅雨の合間の今にも泣き出しそうな曇り空であった。

 リンゴが日本に来ることは,BCC(「ビートルズ・シネ・クラブ」現在の「ザ・ビートルズ・クラブ」)の会報を通じて知ってはいたが,まさか岡山県に来るなんてことは考えてもみなかったので,大阪まで行くのは面倒くさいな…とうっかりしていたら,なんと倉敷市民会館でコンサートがあるという。あわててチケットを手配して,今日の日がやって来た。

 倉敷市民会館は収容人数せいぜい2000人規模のこじんまりしたホールで,久々にここまで足を運んで来た岡山県民の私も,「リンゴも,こんな,ヴェンチャーズ並のドサ回りをするようになったのか」と奇妙な感慨にふけってしまった。

 午後6時開場。座席についてステージを見ると,非常にこじんまりしたPA装置。ポールの東京ドームや福岡ドームでのコンサートのときと比べると十分の一くらいの規模だろうか。また客席の入りも悪い。一階は約半分しか埋まってないし,二階に至っては10人ほどしか人影が見えない。全部で1000人ちょっとか。やがて満員になるだろうと思っていたらとうとう最後までそのままだった。

 一瞬,シェア=スタジアムの,熱狂する5万人の聴衆の姿が頭をよぎった。時代は変わったのだ。

 午後6時35分,リンゴ以外のメンバーがステージに登場した。マーク=ファーナー,ランディ=バックマン,ビリー=プレストン,フェリックス=キャヴァリエ,ジョン=エントウィッスル,マーク=リヴェラ,そしてザック=スターキー。何の演出もなく,皆,淡々と楽器の準備をする。

 そして,満を持して「リンゴ=スター!」の声とともに,リンゴが両手にVサインを掲げておどけながら登場する。どうも小林旭のものまねをしている片岡鶴太郎みたいに見えてしまう。あんまりカッコよくない。しかし,この「カッコ悪さ」こそがきっとリンゴの持ち味なのだろう。

 オープニングの曲は,知らない曲。何せ,リンゴのソロアルバムは"RINGO"と"GOOD NIGHT VIENNA"しか持っていないので,いたしかたないか。

 まわりを見回すとやはり50代くらいの年配のお客が多いが,中には高校生や小中学生の姿も見える。一曲目が始まると,皆,おずおずととりあえず総立ちとなったが,となりの席の50歳くらいのおばさんは,リンゴ以外のメンバーの番になると席に座って休んでいた。

 記憶があいまいで曲順は定かではないが,"It Don't Come Easy"はノれた。リンゴが「ロックンロールは好きかい?」と言って始めた"You're Sixteen"は声を張り上げて歌った。そして,待ってましたビートルズ=ナンバー。"I Wanna Be Your Man""Boys"。これはもう涙ものです。

 しかし,リンゴ以外のメンバーの番になるとどうもいけない。バックマン=ターナー=オーヴァードライヴ?知ってるよ。"You Ain't Seen Nothing Yet"は知ってるよ。グランド=ファンク=レイルロード?もちろん知ってるよ。マーク=ファーナーってずいぶん髪の毛が薄くなったなぁ。でも,"We Are An American Band","Heartbreaker" , "The Locomotion"以外の曲は知らないなぁ。ザ=フー!当然知ってる。だけど,ピート=タウンゼントロジャー=ダルトリーキース=ムーン以外のメンバーの名前は(もちろんベーシストがジョン=エントウィッスルだってことも)知らなかったなあ。あのビリー=プレストンは何をやってくれるのだろう?"Get Back"のキーボードが聞けたら最高だけどね。でも,やっぱり知らない曲だった。ヤング=ラスカルズというバンドは,残念ながらよく知らない。(ごめんなさい,ジョンとフェリックス,最後には握手してもらったのにね。)

 倉敷が田舎だから“通(つう)”のお客が少なかったからかもしれないが,こんな思いを抱いていたのは私だけではなかったみたい。ランディ=バックマンが客席に一緒に歌うように呼びかけるが,知らない曲なのでお客はほとんど反応せず。ランディもはっきりと困惑した表情。結局,コンサート全体の中でリンゴが歌ったのは三分の一ほどだから,全体的に間延びしたムードはしょうがないか。しかも,そのリンゴときたらドラムスをたたきながら歌ったのはほんの例外で,ほとんどマイクを握ってヴォーカリストに徹している。あの“ビートルズのリンゴ”の姿とはずいぶん違う。

 それでも,やっぱり"Honey Don't""Act Naturally"は泣けた。特に,1000人強のお客しか入っていないために,リンゴとお客との間に,まるでちっちゃなライブハウスでやっているような緊密なコミュニケーションがある。

 リンゴは客席からの「リンゴ〜!」と言う声援にいちいち"What?!"(何だ?!)と答えるし,"Act Naturally"は,客席に「次は何が聞きたい?」と呼びかけて"Don't Pass Me By!" と言う声が返ってくると,ちょっと困ったような顔をして,"Maybe later."(ひょっとしたら,後でやるかもよ。)と答えておいてから歌いはじめた。

 そしてムードが最高に高まったのはやっぱりあの曲。リンゴが「グレートな曲をやるよ。みんな一緒に歌ってくれよ。」と呼びかけると,聴衆の期待はいやがおうにも高まる。そして,ついにはじまった。

     "In the town where I was born, lived a man who sailed to sea....",

 "Yellow Submarine"−きっと今日ここに来ているお客さんの半分くらいは,この曲をリンゴが歌うのを聴くためにやって来ていたんだ−そう思ってしまう。お客は大熱狂。リンゴも,最前列のお客が持っていたイエロー=サブマリンのプラカードを借りると,それを手に持ってステージを縦横無尽。文字通り大狂乱の数分間だった。

 そして"Back Off Boogaloo"と続き,「これが最後の曲だよ」と言ってはじめたのが,"Photograph"−なるほど,今回のエンディングにはこのジョージと作ったナンバーワンヒット曲を持ってきましたか。納得がいく選曲ではある。しかし,全体的には,多少消化不良のまま。拍手を続け,アンコールを待つ。

 しばらくたって,メンバーたちに続いてやっとステージに出て来たリンゴが,「一曲だけだよ」と言ってはじめたのが,"GOOD NIGHT VIENNA"からのヒット曲"No No Song"。これは私の大好きな曲。でも,リンゴがしばらくアルコール中毒で参っていたことを考えると,この「いえ,いえ,僕はもう,酒も麻薬もやめたのです」という歌詞は妙にリアリティを持って響く。

 でも,“あと一曲”って,本当にこれでおしまい?と思っていたら,リンゴは,最後はやっぱりきちんと決めてくれました。イントロの,最初の音が出た瞬間に分かった"With A Little Help From My Friends"−「ちょっと友だちに手を貸してもらえれば,僕はうまくやれるのです」−まさに,オールスターズに呼びかけるメッセージのようだ。そして宴は終わった。

 帰りを急ぐ車の中で考えた。やっぱりもう少しリンゴが歌うのを聞きたかったなあ。“ビートルズのリンゴ”の再現を期待していたものには,やっぱり欲求不満が残るコンサートだった。しかし,リンゴは間もなく55歳。孫もいる。やっぱりそれを求めるのは,無理なのか。だけど,リンゴには純粋なバックバンドを従えて,2時間のコンサートを一人で持たせるほどのヒット曲はない。どうしても“オールスターズ”のような形をとらざるをえないのだろう。それはこの日集まった“ビートルズ=ファン”には余計なものだったのかもしれないが,古くからの友人たちや息子に囲まれてのびのびとプレイしているリンゴを見ると,“これでよかったのかな”と思ってしまう。(ドラミングもほとんどザックに任せて,リンゴは,ちんたらたたいていただけのように見えた。)

 しかし,マーク=ファーナーは光っていた。GFRの全盛時代,後楽園球場の雨中5万人コンサート(だったと思う)を彷彿とさせるようなパワフルな歌唱。"The Locomotion"は懐かしさに震えたね。

 でも,S席9000円は高い。きっとギャラがバカ高いのだろうけれど,6000円くらいにしておけば,もっとお客も入ってコンサートも盛り上がっただろうに。しかし,この,敬老会の余興のようなほのぼのーとしたムードが,やっぱりリンゴの持ち味なんだろうと何となく納得してしまったコンサートであった。

 日本武道館や大阪城ホールでコンサートを見た皆さん,田舎のコンサートもなかなかいいですよ。だって,リンゴが,そこに,すぐ目の前にいるんだから。