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■ビートルズの歴史 第4章 終焉のとき |
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4−終焉のとき
1.小野洋子小野洋子はロンドンで活躍していた日本人前衛芸術家であったが,ジョンと知りあうと2人は急速に意気投合し,ジョンは本妻シンシアを顧みなくなっていた。そして,ジョンの行くところどこでもこの小柄な黒髪の東洋人女性が現れるようになり,ビートルズのメンバー間の新たなストレスとなっていた。 ジョンは,シンシアと離婚し正式にヨーコと結婚する(69年3月)が,その頃からビートルズとしての活動に興味を失いヨーコとの生活に没入するようになった。ヨーコと出会ってからのジョンは,女の影響を受けて“行動する過激派”となり,平和運動に熱意をそそぐようになった。彼らはそろって世界中のマスコミに“愛と平和(Love & Peace)”を訴え,白い布製の袋に入ってインタビューを受ける“バッグ=イン”(68年),世界中の政治指導者にどんぐりを送り平和を祈ってそれを植えてもらう“どんぐりイベント”(同年),2人ベッドに寝そべったまま平和を語る“ベッド=イン”(69年)などの,理想は高いが一般大衆には“道化”としか見えない活動をはじめた。
2.おとなになった4人ジョンがヨーコとの生活に没頭するようになったころ,ポールもアメリカ人の芸能写真家リンダ=イーストマンと結婚した(69年3月)。ポールは長く女優のジェーン=アッシャーと恋愛関係にあったが,“ポールの付属品”扱いを嫌い女優としての一人前の評価を求めた彼女はポールのもとを去り,ついにポールも家族を持つことになった。 ジョージはすでに主演映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ』で共演した女優パティ=ボイドと,リンゴもモーリンと結婚しており,それぞれビートルズとしてよりも家族と過ごす時間を大切に思いはじめるようになっていた。(なお,ジョージとリンゴは離婚して別の相手と再婚したが,モーリンは1995年に死去した。ポールもリンダの死去(1998年)ののち再婚したが離婚している。また,パティのとりこになったエリック=クラプトンは,彼女のために名曲『いとしのレイラ』を残し,結局ジョージからパティを譲ってもらう形になった。) こんな中,何とか昔のビートルズを呼び戻したいポールはスタジオ=ライブを映画化するという計画を持ち出し,『レット・イット・ビー』が撮影され,サウンド=トラックが録音された。しかし,これはただメンバー間の軋轢を表面化させただけであり,映画とアルバムの発表はしばらく見送られてしまった。ポールは最後の力を振り絞って,69年,アルバム『アビー・ロード』を制作する。このアルバムは優れた曲を多数含み1300万枚を越える超大ヒットとなったが,結局ビートルズの分裂をとどめることはできなかった。放漫経営の中アップル社は経営不振に陥り,その解決のためポールが新マネージャーに妻リンダの兄を推薦すると,他の3人は辣腕芸能マネージャーアラン=クラインを指名し,ここにポールは財政的にも孤立を深めていった。
3.ドリーム・イズ・オーヴァーそして1970年ついにポールはビートルズ脱退を宣言し,ジョンとジョージとリンゴを相手に法的権利関係清算のための訴訟を起こした。ここに世界最高のロック=バンド,ザ=ビートルズは消滅したのである。 |