1962年,いまだリヴァプールのアマチュア・バンドであったビートルズを見いだし,彼らをスターダムへ導いたのは“5人目のビートルズ”とも呼ばれたマネージャーのブライアン=エプスタインであった。エプスタインはビートルズのメンバーの絶大な信頼を受け,彼らの活動のすべてをコントロールしていた。しかし,“アイドル”を脱し“アーティスト”へと変化を遂げつつあった彼らにとって,保守的なエプスタインは次第に煙たい存在となりつつあった。 ところがちょうどそんな1967年8月27日,彼らに巨大な影響力を持ちつつあったインド人導師マハリシ=マヘシュ=ヨギの講義を受講中のビートルズのもとにエプスタイン急死の報が届いた。睡眠薬中毒であった。自立するビートルズに対するコンプレックスにより睡眠薬を常用していた彼は,ある夜ついに“服薬量を間違えた”のであった。彼の死により一時は茫然自失状態であったビートルズではあったが,これを機にグループ内でのポールの発言力が増大し,ポールのアイデアのもと初めての彼ら自身の発案によるテレビ映画の製作が開始された。これが「マジカル・ミステリー・ツアー」である。
この作品はビートルズと彼らをサポートするひと癖もふた癖もある俳優陣が1台のバスに乗り込み,決まった脚本もなく行き当たりばったりにたどり着いた場所で撮影を行うという趣向の作品である。
この作品では即席性とハプニング性が重視され,9月1日に制作打ち合わせが行われると,直後の9日に制作発表が行われ,翌々日の11日にはあのサイケデリックな“ミステリー・バス”が最初のロケ地へ出発するという慌ただしさであった。24日には速攻で一通りのロケを終了させたが,物足りなさが感じられたので,ポールは11月1日に"The Fool On The Hill"のシーンの撮影のために一泊二日!のフランス旅行(ニース)に出かけ,11月3日にはイギリス国内のリンゴの家でジョージが歌う"Blue Jay Way"のシーンの収録が行われ,撮影が完了し,12月17日にはファンクラブのセクレタリー向けのプレミア・ショウが開催されるという前代未聞の大騒動であった。
この番組は1967年のクリスマス(12月26日)にBBCテレビで(当初白黒で)放映され,75%という驚異的な視聴率を残した。しかし,筋道のないシュールな内容と,当初白黒作品として放映されたため,ビートルズの目指した“サイケデリック”な味わいは視聴者に正しく伝わることなく,評論家たちからは「無味乾燥」「おふざけナンセンス」「頭がおかしくなった」,“ビートルズ初の失敗”であると,さんざんな評価を受けた。しかし,その内容はいわば現代の“プロモーション・ビデオクリップ集”とも言えるものであり,彼らは少し時代の先を行き過ぎていたと言えよう。 余談ではあるが,この不評の嵐に対して“プロデューサー”のポールは翌27日早速記者会見を行い,「この映画は初めてのものであり,多少つまらないところもあるかもしれないが,これにこりずこれからも作っていきたい」と釈明している。
平成9年度の「おかやま音楽祭−The Beatles' Holiday」で,私は「レット・イット・ビー」とこの「マジカル・ミステリー・ツアー」を上演したが,確かに観客の感想は「訳がわからん」というものが多かった。(^_^;)
見所は,フランス・ロケによるポールの歌う"The Fool On The Hill" ,メンバーがセイウチ(walrus)の扮装をして演奏する"I Am The Walrus"のシーン,そしてラストの美しい"Your Mother Should Know" など。
なお,“mystery tour”とは,1950〜60年代にイギリスの労働者階級に人気のあった行き先を伏せて廉価で募集される団体旅行のこと。日本でも近年人気を呼んでいる。私も自分のクラスの「遠足」でこれをやったことがある(行き先は“井倉洞”という鍾乳洞だった!)。生徒は行くまでは文句たらたらだったが,ついた後は結構楽しんでいた。(^o^)
また,この映画のサウンドトラック盤は,12月1日アメリカではLPとして発売されたが,イギリスでは4曲入りEPとして発売されたのみであり,現在日本でCDの形で入手できるのはこの“アメリカ”盤である。 なお,映像作品は現在DVDおよびブルーレイ双方で入手可能。
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