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■ビートルズ研究No.3 高校地歴,公民科教育における授業テーマとビートルズ |
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はじめにここでは「授業テーマとビートルズ」という題材を取り扱っています。しかし,それではなぜビートルズの曲を授業に使う意味があるのでしょうか? 私はビートルズの大ファンです。もっとも私は昭和36年(1961年)の生まれですから,残念ながらビートルズ解散当時でもまだ9歳。とても彼らの持っていたあのパワーと社会的影響力を知る術もありませんでした。つまり,私は「同時代の音楽としてビートルズを聞いたのではなく」,「確立された権威を持ってビートルズを聞いた」世代です。すなわち,私は彼らの音楽を“ポピュラー音楽”としてではなく,一種の“クラシック音楽”として聞いていたことになるのかもしれません。 ともあれ,私にとって彼らや1960年代の音楽はあたかも『聖書』のような存在であり,それは私の行動の指針のひとつでした。70年代の音楽は同時体験が可能でしたが,それでもなお海の向こうのヒット曲は,私にとってキャンディーズやピンク=レディの音楽とはまったく違ったものでした。 そんな私は,1983年(昭和58年)高等学校の教員(社会科/専門は「世界史」)となりました。その後,授業を続けるうちにおもしろいことに気がつきました。“難しい”『世界史』や『現代社会』の学習において,私の愛するビートルズが授業の導入のきっかけとなってくれたり,あるいは問題の解決方法を示してくれているのです。そして,私は『授業のの指導にビートルズやその他のロック音楽を使ってみました(詳しくは「ロックで学ぶ現代社会」参照)。 中には“不まじめでは?”という声もありましたが,やってみると生徒には大好評で,“次の授業が待ち遠しい”と言ってくれる生徒もずいぶんたくさん出てきました。これに意を強くした私は,その後もどのようなテーマでどのような曲が使えるだろうかという研究を続けてきました。 こうした観点から,今回このような形で「一覧」を作り上げることで自分自身の備忘録となるとともに,同じような授業を志す多くの日本中の高等学校の先生方のお役に立ちたいと願っています。 |
■高等学校地理・歴史科,公民科教育における授業テーマとビートルズの曲目(ソロ含む)についての研究 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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世界史編
曲中に登場するSir. Walter Raleighは,16世紀末女王Elizabeth1世の命でイギリス初の北米植民地 Virginia を建設した人物。アメリカ大陸からはじめて煙草をヨーロッパに持ち込んだ人物としても知られる。 ジョンが煙草を吸いながら彼をののしるのはそのため。
1967年6月25日,世界初の全世界同時衛星中継テレビ番組として放映された『アワ・ワールド』にイギリス代表として出演したビートルズは,全世界に向けてこの曲のレコーディング風景を提供した。 この曲はジョン=レノン独特の反語表現により,“愛のすばらしさ”を歌いあげた曲である。 この曲は“自由”“平等”そして“博愛”を理念としたフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』(もともとはフランス革命時の,革命防衛軍マルセーユ部隊の軍歌)から始まり,イギリス民謡『グリーン・スリーヴズ』,アメリカのジャズ『イン・ザ・ムード』などで終わる構成を持ち,“愛が世界を救う”という理念を高らかに歌いあげている。 やがて小野洋子とともに平和運動に走るレノンのルーツは,この曲にあるといってもよい。
現代社会編
この『ヘルプ!』("HELP!")は,1965年ビートルズの主演第二作映画『ヘルプ!−四人はアイドル』の主題歌として,主にジョン=レノンの手によって書かれたストレートなロックナンバーである。 当然大ヒットし,イギリスでもアメリカでもヒットチャートの第一位を占めた。当時の人々はこの曲をただリンゴ=スターが主役を演じたコメディ映画のテーマソングとしてしかとらえておらず,その裏に隠されたジョンの心の苦悩にまでは思いを馳せることはなかった。しかし,この曲こそが当時25歳のジョン=レノンの初めての“私小説的”魂の叫びだったのである。 この曲でジョンはこう歌う。 「むかしむかし 僕が 今より ずっとずっと幼かったときには
これは言い換えれば,自我(ego)の認識以前においては,つまり,子どものころのこの世には他の人とは違う“自分”というものが存在し,その自分は,今,どのような“自分”で,これからどのような“自分”になるのか,というようなことを考えはじめる以前には,自らのアイデンティティを模索して,「自分は一体なんだろう?」とか「これからどう生きてゆけばよいのだろう?」などということを考えたりそのために悩んだりしたことはなく,当然それに関して誰かに助けてもらおうなどと考えたことはなかった,ということである。ところが, 「でも 今 そんな時代は過ぎ去って
というのだ。これはつまり,疾風怒涛の青年期がやって来て,自我の不安・アイデンティティの危機の時代が訪れ,スランプや空虚感・劣等感に苦しみはじめたことを示している。 「でも 僕には わかったんだ 僕は 心を入れかえるんだ
しかし,主に14〜15歳ころから17〜18歳ころまでの青年期前期に特徴的なこの苦悩は,25歳の青年ジョン=レノンにおいては何らかの理由で克服され,彼は心を開き,素直に援助を受け入れようとする。 「出来るならば助けてください 僕は落ち込んでいるんです
そして,2コーラス目でも, 「今では僕の人生も すっかり変わってしまって
と,一番と同様のアイデンティティの危機,自信喪失,独立心の欠如が歌われるが,ここで急転直下,自らのコペルニクス的改心の理由が語られるのだ。 「僕には 君のような人が必要なんだ
つまり,彼は恋をしたのである。そして,その激しい恋に身を焼き,彼女との一体感を求めてその女性に救いの手を求めたのである。 このように,この“HELP!”は「危機の時代」である青年期とそこからの脱出の強い願望が見事に描かれている傑作である。
もう“こども”ではないが,まだ“おとな”ではないというマージナルな時期にいる青年は,ときとしてみずからのアイデンティティを見失い,非社会的行動(不登校・自殺など)・反社会的行動(暴力・犯罪行為など)に走る場合がある。そして,そのとき若者は往々にして“自分の世界”に閉じこもり,他人の意見を聞こうとはせず,この先自分がどうなるのか,あるいはどう生きてゆけばいいのかという明確なビジョンが持てなくなることもある。 ジョン=レノンの絡みつくようなボーカルが印象的な,この"NOWHERE MAN"は,彼が単純なラブソングから脱却し,詞の面で哲学的なアプローチを見せ始めたアルバム『ラバー=ソウル』の中の一曲であるが,ここでは自分の世界に閉じこもり他の現実社会との交渉を断絶した“ひとりぼっち”の人間の姿が描かれている。 これは見方によれば偏執狂的な“オタク族”の姿にもとることができるし,好意的に見れば非常に先進的・独創的な科学者やアヴァンギャルドな前衛芸術家の姿にも見える。 しかし,ここでは,この"NOWHERE MAN"を我々誰の中にも住んでいる, 「まったく 回りが見えず
“非妥協的な”自分の姿として捕らえてみたい。そして,それこそは若者の典型的な姿ではないだろうか。だからこそジョン=レノンは, 「でも あいつは ちょっと僕たちに似ていないかい?」 と言うのだ。しかし,若者はその理想を純粋に非妥協的に追い求め,ときとして“おとな”と摩擦を繰り返す。 我々は中間的な青年期を卒業し“おとな”になってゆくとともに,悪く言えば世間と妥協を繰り返し,現実社会で生きるために「夢」を捨ててゆくのだが,よく言えば外の社会に対して心の扉を開いて(『ヘルプ!』における "I've opened up the doors.")外的世界と共存共栄の道を歩むようになる。慌てることも焦ることもなく,それは人間としての成長の過程で必ずやって来る瞬間なのであると,ジョンはこう歌うのだ。 「行き場のない男よ 心配は無用
こうして,この曲は青年期の非妥協性と純粋性を歌いながら,その解決策を示しているということができるだろう。
1967年,ビートルズはアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を発表した。 このアルバムは“ロックの金字塔”と言われ,識者をして『1960年代という時代を語るために何かひとつだけタイムカプセルに入れるとすればこのアルバムをおいてほかにはない』と言わせた歴史的アルバムであった。 ニューヨーク=フィルハーモニー=オーケストラの常任指揮者レナード=バーンスタインや,日本を代表するクラッシック音楽である小澤征爾や武満徹らも先を争って聴き,絶賛したというこのアルバム,実は一曲のヒットシングルも含んではいない。しかし,このアルバムには60年代の若者たちの“すべて”が歌われていると言っても過言ではなかった。マリファナやLSDなどの幻覚剤の使用から生まれた,サイケデリックなフラワー=ムーブメント(ヒッピーたちの文化),“愛と平和”(Love & Peace) 運動,インド哲学,老人問題,そして,世代の断絶(ジェネレーション=ギャップ)と,若者を取り巻く諸現象を見事に歌い上げた『サージェント・ペパーズ』は,戦後の混乱期を克服し,新しい“世代のアイデンティティ”を求めはじめた若者たちの一種の“独立宣言”となったと言ってよいだろう。 そのアルバムに収録されている,地味で目立たないが大いに味のある曲が,この『シーズ・リーヴィング・ホーム』である。 この曲においてポール=マッカートニーは,“自由”と引き換えに経済的充足を与えた“こども”に,最終的には「かけおち」という形で裏切られる哀れな両親の姿を描いている。 “おとな”たちは, 「私たちは 娘のために 自分たちの人生を捧げてきたのに
もかかわらず, 「どうして あの子は 私たちに こんなむごい仕打ちをするのでしょう」 と嘆き, 「私たちは 娘のために 自分たちの人生を捧げてきたのに
最愛の娘に“裏切られて”しまい,世を哀れむしかないのである。しかしながら,彼ら“おとな”には,いまだ, 「私たちが 何か悪いことをしたのかしら
のである。 一方娘の側では,外見上は両親の大きな愛情に包まれて暮らしているように見えながらも,実はさまざまな束縛を受け,まったく自由を奪われており, 「何年も何年も たったひとりで暮したあげく 家を出て行く」 のである。そして,結局念願の自由を「かけおち」という形で手に入れるのであるが,その相手は時代の最先端を行く「自動車関係の男性」であった。こうして娘は, 「彼女の心の中にあるものは 何年も何年も
挙げ句に,ひとり家を出てゆくのである。そして哀れな両親は,やっと最後の最後になって, 「『楽しみ』は お金で買えないものなのね」 と気づくが,後の祭りということになるのである。実に「世代の断絶」というものはこのようなものだと典型的な例を示してくれる名曲である。
ビートルズが自らの意志でリリースした最後のシングル・レコードとなったこの『レット・イット・ビー』は,基本的にはカトリックであるポール=マッカートニーが,"Mother Mary" という言葉に,“聖母マリア”と,彼が14歳のとき乳ガンでなくなった彼の母,メアリー=マッカートニーの二重の意味を持たせて,ゴスペル(黒人聖歌)風に切々と歌いあげた名曲である。 "Let it be."とは,「そのままにせよ,なるがままにせよ」という意味であるが,そこには日本的・親鸞的な意味での,「人間は無力な存在であるから,自らの力をあてにせず自らを捨てて仏の力に頼ろう」という意味での“他力本願”ではなく,「努力が結果を生むが,それを最後に裁くのは神である」というカトリシズムを読み取りたい。 すなわち,この歌の真意はこうとってもらいたい。 つまり,『長い人生においてはどんなに努力しても自分の力ではどうしようもない苦境に陥ることもある,しかしそのときいたずらに悲嘆したり自暴自棄に陥ったりするのではなく,できるかぎりの努力をしたのならそれでいいじゃないか,きっと結果は後からついてくる,人事を尽くして天命を待て』ということ。やるだけやったら,もうそれでいいじゃないかっていうこと。 だから,これは声を大にして言いたいことだけれど,君たち若者に対する土壇場でのアドバイスは,『今,どんなに苦しいことがあっても,とりあえず我慢しなさい。とにかくあと5年我慢しなさい。そうすれば,今は死にたいほど悩んでいることも,“あのときは,どうしてあんなことで死にたいなんて思ったのだろう”と笑って話せるときが来る』ということである。 それは決して5年たったら,どんな問題も解決するというわけではない。ただ,今君たちが悩んでいることは,アイデンティティが確立する以前のマージナル・マンとしての悩みが多い。つまり,『もう“こども”じゃないけれどまだ“おとな”じゃない』ゆえの悩みである。たとえば,好きな女の子がいるけれどまだ若すぎるからという理由で両親が結婚に反対していて死にたいほどつらいという悩みは,君たちが“おとな”になれば意味がなくなってしまうわけだし,容姿についての悩みも,すっかり“おとな”になってアイデンティティが確立されれば,『私は私よ文句があるか,顔よりは実力で判断してくれ』という気持ちにもなれる。 だから高校生には,あえて,今はなるがままに任せて,もう5年我慢しなさいって言うのだ。
ジョン=レノン(1940-80)は,ビートルズ解散直後"John Lennon"(邦題『ジョンの魂』)というソロ・アルバムを発表した。 このアルバムは,ノイローゼに悩む彼が,アメリカ人精神科医,アーサー=ヤノフ博士の“プライム・スクリーム”(原初の叫び)療法を受けた結果制作された。 このプライム・スクリームとは次のような精神治療法である。 まずカウンセリングを通して医師の質問に次々と答えてゆく中で,患者はさまざまな過去を思い出し,ついには精神的障害の原因となった事象を記憶に呼び覚ます。しかし,彼はそのとき深層心理の下に抑圧されていた昔々の“忘れたい過去”を思い出し,あまりの恐怖に“叫び声”を上げる。そして,その原因を取り除くための治療を行うことによって患者の治癒をはかる。これが,いわゆるプライム・スクリーム療法である。 ジョン=レノンはこの治療を受けることによって悪夢的なさまざまな過去(幼少年期における父の蒸発,母の死など)と決別し,“ビートルズである自分”を捨て,新しいジョン=レノンとして心の中のすべてを吐露し,二番目の妻小野洋子と新しい人生を歩むことを宣言することになった。 そして,その『ジョンの魂』の中の印象的な一曲がこの『愛』である。この曲の中でレノンは, 「愛とは 愛されたいと 望むこと」
と繰り返す。そして,これこそがギリシア語で“エロース”と呼ばれる愛の定義なのである。 エロースとはもともとはギリシア神話の愛の神のことである。普通は翼を持つ少年の姿で表される,ローマ神話ではクーピードゥス(キューピッド)と呼ばれる神のことである。 この神は富裕の神と貧乏神の間にできた息子であり,常に美しいもの価値あるものを求めてさ迷う。 すなわち,エロースの愛とは「価値あるものを求める心」のことである。たとえば,「おいしいものが食べたい」「かわいい彼女が欲しい」という気持ちがそれに当たる。前者は食欲,後者は性欲と置き換えることもできるが,それは結局“自分のための愛”“奪う愛”である。食欲がなくなれば人間は固体を維持できなくなり命を落とし,性欲がなくなれば人類という“種”が地球上から消えてしまう。つまり,人間は,他の生物の命を奪いそれを食しなければ生きてゆけず,出家僧のように性欲を消し去れば,その遺伝子もともに消滅するのである。 結局本能に支えられた“欲望”がエロースであるとも言えるが,エロースはただそれだけにとどまらず,「美しい音楽が聞きたい」とか「尊敬する人物と語り合いたい」というように,自らにとってプラスとなる,自らを高めようというような気持ちのことを総称する。 だからこそ,これは極論を言えば,イヌやネコのみならず昆虫やさらなる下等生物にも存在する“感情”である。 ところで,人間の脳の大部分を占める部所を大脳皮質というが,これは“古い皮質”と“新しい皮質”の二つに分けられる。 “新しい”“古い”といっても,新品とか中古というような意味ではない。“古い皮質”とは人間がサルと同様の存在であった時代から持っている部分であり,ここでは主に食欲・性欲などの本能の部分を司っている。これがなければ人間は生物として生きていくことができない。したがって,事故などによってこの部分を損傷すれば死に直結するし,その性質上下等生物にも(大きさはともあれ)存在するものである。 これに対して“新しい皮質”は,人間がその進化の過程で獲得してきた新しい脳である。この部分は類人猿などの高等生物にはいくらか見られるが,下等生物にはほとんど存在しない。したがって“人間独自の脳”ともいうことができるだろう。そしてここは,言語とか数学的計算とかいった“知能”を司っている。 そしてもう見当がつくように,エロースと呼ばれる価値あるものを求める愛は,“古い皮質”でコントロールされ,もうひとつの愛が“新しい皮質”によって生み出される。それが同じくギリシア語でいう“アガペー”である。 つまり人間は,他の生物には見られない“独特の愛”を持っているのである。
ジョージ=ハリスンは“クワイエット・ビートル”のニックネームとおり,ビートルズ時代はジョン=レノンとポール=マッカートニーの二人の天才の蔭に隠れて目立たない存在であったが,1965年ころからインド音楽に接近し,次いでインド哲学やヒンドゥー教に帰依することとなった。 解散直後LP3枚組(CDでは2枚組)のアルバム "All Things Must Pass"(邦題は『ジョージ=ハリスン』,タイトルを直訳すれば“諸行無常”)を発表し,最初のシングル・カット曲であるこの『マイ・スウィート・ロード』が大ヒットすると,隠れていた才能が開花したと世界中で激賞された。 この曲は,彼の信ずるヒンドゥー教の最高神のひとりクリシュナの神に捧げられた曲である。 しかし,この曲は,アメリカの女性ヴォーカル・グループシフォンズのヒット曲『ヒーズ・ソー・ファイン』に酷似していると盗作の疑いをかけられ,ついには有罪判決が出るという衝撃的な経緯をたどった。 しかし注目したいことは,欧米においてはこのような「宗教賛歌」がナンバーワンヒット曲となりうる土壌があるということである。 先般のオウム真理教の事件を見ても分かるとおり,日本人の宗教的無関心と無知があのような空前の大犯罪を生んでしまったといえるのではないか。
☆注 *1/"I Ching" とは,中国の春秋時代(前770〜前403年)の成立した儒教経典のひとつ『易経』のこと。第一に占いのためのテキストであり,街角で筮竹(ぜいちく)などを使い占いを行う,いわゆる“易者”の基本的な教科書である。そして,同時にどうすれば少しでも凶運を切り抜けられるかという処世術の教えである。さらに,宇宙論的哲学であり,大宇宙は陰と陽の二気の絡み合いによって成立しており,無限に流動し,刻々と変易(変化)する。ところで大宇宙は変易してやまないが,天体の動きに一定の周期があるように,変易のしかたに不易(不変)の法則があるはずである。その秘密は言語や論理ではなく,『易経』の持つ象徴(卦)と数理によって簡単に把握される。人間は小宇宙であるから,人の未来の運命もまた『易経』によって予見される,とする。 *2/"tarot" タロットは西洋伝統のカード占い。「杖」「杯」「剣」「星」の四組のカードからなる。中には古代エジプト以前にまでさかのぼる起源を持つものもあるが,それぞれの組が隠された主題を持っており,占い師は,直感によって配列されたカードの意味を読み取る。 *3/"Kennedy" アメリカ合衆国第35代大統領,John Fitzgerald Kennedy (在位:1961-63)のこと。合衆国初のアイルランド系カトリックの大統領として若干44歳にして就任。“ニュー・フロンティア”政策を掲げてアメリカ国民に絶大な人気を誇ったが,ビートルズ初のアメリカ公演旅行直前の1963年11月22日,テキサス州ダラスで暗殺された。凶行直後に容疑者のオズワルドが逮捕されたが,彼自身が暗殺され,事件の背景は闇に葬られた。 *4/"Buddha" シャカ,釈迦牟尼,仏教の創始者ガウタマ=シッダールタ(前5世紀ころ)のこと。悟りをひらきブッダ(仏陀)と呼ばれる。 *5/"mantra" サンスクリット語,真言と訳す。真実にして偽りのない言葉の意味。仏,菩薩,明王,諸天などの誓いや徳や教えの深い意味のこもった秘密の語句を指す。 *6/"gita" 『ギータ』とは『バガヴァッド・ギータ』("Bhagavadgita")のこと。古代インドの大叙事詩『マハーバーラタ』(前1世紀ころ成立)の一部。バガヴァッド(至福者)として尊崇される神の宣示する歌(ギータ)で,聖地クルクシェートラにおけるバラタ族の戦いの発端場面において,同族間の戦争に疑念を抱いて煩悶する勇士アルジュナに対して,彼の戦車を御するクリシュナ−実は神バガヴァッド−が宣べる教説を中心とする。肉体の生死にかかわりのない永遠不滅の純粋精神を認識する知能の道,成否,得失を度外視して自己の本務を私心なく遂行する道を説くとともに,神に献身的愛(バクティ)を捧げるものは所行の善悪や生まれの貴賎にかかわりなく,均しく神の恩寵によって解脱の境地に至るという福音を格調高く歌っている。インドのバイブルとされる。 *7/"yoga" ヨーガとは古代インドに成立した独特の修業法。種々なる対象に移り行き,抑え難い心を集中することで正しい坐法によって呼吸を整え,感覚と意識を制御して精神を統一純化し,悟りの境地に進み,あるいは超自然力を得る。しかし,学派としての勢力は現在ほとんどなく,苦行はまたは健康法に化した特異な風習にその名残をとどめている。 *8/"Zimmerman" ボブ=ディランの本名。ビートルズの初期にジョンが多大なる影響を受けたフォークシンガー。 *9/"Walrus" The Beatles の曲 "I Am The Walrus"(1967)より 参考図書:小学館『万有百科事典』 丸善『丸善エンサイクロペディア』 ジョン=レノンは,1966年,イギリスの雑誌とのインタビューに答えて, 「キリスト教はやがて衰えるであろう。僕たち(ビートルズ)は,今やイエス=キリスト
と発言した。イギリスでは何の話題にもならなかったが,これがアメリカの雑誌に転載されると,キリスト教信仰心の強い南部諸州(いわゆる“バイブル・ベルト”)では問題化し,ビートルズのレコード不買運動や公演反対運動が巻き起こったことがある。このときは,マネージャーのブライアン=エプスタインの指示で急遽釈明会見が行われ,レノンは自分は“神を信じている”と明言した。 ところで『神』は,前述したジョン=レノンが過去の自分との決別のために制作した "John Lennon"(『ジョンの魂』)の収録曲。ここで彼は,かつて自分が影響を受けたもの,(東洋思想,エルヴィス,ディランからビートルズまで!)を片っ端から否定し,最後には自分と妻の小野洋子しか信じないと言い切る。 この曲の中でレノンは, 「神とは 我々が 自らの苦悩の程度を測る 概念である」 と,この度は神の存在を否定し,世間にセンセーションを巻き起こした。 人間が目に見えぬ超自然の力にすがろうとすることは,古来どんな民族にも見られることであるが,そこには一定の法則があった。 すなわち,農耕民族なら大きな収穫を約束してくれる農業の神を拝み,狩猟民なら狩りの安全と多数の獲物獲得を狩猟の神に祈るのである。 つまりその民族の信じている“神”の姿を見るならば,その民族の生活が見えてくる。 要するに,砂漠の中で周囲の強大な民族に翻弄されたヘブライ(ユダヤ)人の苦悩の歴史をひもとけば,なぜ彼らの神が強大な力を持ち,天から民を見下ろし,戒律によって民をコントロールする唯一絶対神ヤハヴェ(エホヴァ)であったのかが分かるし,豊かな自然と四季に恵まれた農業国家日本では,八百万(やおよろず)の極めて人間的な神々が活躍する理由も,おのずから知れるのである。 つまり,ここでレノンは,『神が人間を創ったのではなく,人間が神を作ったのである』と言っているのだ。 すなわち,その人が信じている神の姿を見れば,その人の苦悩がどのようなものであるかが分かると。 もちろんそれぞれの宗教を信仰する人々の立場から見ればこの考え方は,極めて“罰当たり”なものであろうが,“神”を説明する上で極めて説得力のあるひとつの理論であることも確かであろう。
この『オクトパスズ・ガーデン』は,解散直前のビートルズが最後にレコーディングした1969年発表の名アルバム,『アビー・ロード』の中の印象的な一曲。 作詞・作曲者のリチャード=スターキーとは,ドラマーのリンゴ=スターの本名。ヴォーカルも彼自身。 この当時彼自身に“環境問題”への興味関心があったかは不明であるが,地球温暖化などの環境問題が喧伝される今こそ,我々はこの平和で安全な“タコさんの庭”を守ってゆくため努力を怠ってはならないのだ。
注1/ウイルソン氏 Harold Wilson 1916〜95 イギリスの政治家・首相(任 1964〜70:74〜76)。『タックスマン』発表当時の,また,ビートルズにMBE勲章を与えたときの首相でもある。
アトリー労働党内閣の商務相となったが(47)軍事予算の増大に反対して辞職(51)。のち労働党党首となり(63),翌年の総選挙に勝利して13年ぶりの労働党内閣を組閣した(64)。 デフレ政策の強化・ポンド切り下げ・国防費削減・鉄鋼産業再国有化法案など,労働党の諸施策を実現した。 70年,総選挙に敗れて下野したが74年に政権に復帰,EC加盟(71,保守党が実現)の継続をめぐっては国民投票を実施した(75)。 76年,60歳の誕生日に引退を表明,キャラハンに政権を引き継いだ。 注2/ヒース氏 Edward Richard George Heath 1916〜 イギリスの政治家・首相(任 1970〜74)。『タックスマン』発表当時の保守党党首。オックスフォード大学を卒業,公務員ののち保守党から下院に当選(1950)。労働相(59)・外相代理(60)・ヨーロッパ経済共同体(EEC)加盟交渉首席代表(61〜)などを歴任。保守党最初の公選党首となり(65),70年の総選挙では予想を裏切って勝利を導き首相に就任した(70)。 念願のヨーロッパ共同体(EC:67年にEECから発展)加盟を果たしたが,炭坑労働者のストライキに対抗して議会を解散した結果,総選挙に敗れて辞任した(74)。75年には保守党党首の座もサッチャーに奪われた。 貴族的色彩の濃い保守党の中で,庶民出身の経済・技術に通じた異色の政治家であった。音楽にも造形が深く,管弦楽団を指揮したこともある。 山川出版社『世界史のための人名事典』より イギリスは現在に至るまで“階級社会”の国といわれる。 貴族や大土地所有者などの“アッパー・アッパー・クラス”(上流階級)は別としても,医者・弁護士などの知的専門職業や,高級ホワイトカラー(事務的サラリーマン)などの“ミドル・クラス”(中産階級)と“ワーキング・クラス”(労働者階級)の間には,通う学校,読む新聞,吸う煙草など,さまざまな分野において厳然とした区別があり,労働者階級の子弟が中産階級に“のしあがる”のは非常に困難なことであるといわれる。ビートルズの四人は,その極めてまれな一例であった。(ただし,リンゴを除いて他の3人のメンバーは純粋には“労働者階級”とは言い難く,特にジョンが生育した“ミミおばさん”の家庭は立派な“中産階級”であったが。) 『タックスマン』はレコーディング技術の飛躍的発展の中,電子楽器・テープの逆回し・オーバーダビング等の最先端技術を駆使して制作された実験的なアルバム『リヴォルヴァー』のオープニング・ナンバーである。 ビートルズも,収入の90パーセントにものぼろうかという高額不労所得課税にはさぞかし驚いたであろうということは想像に難くない。 そんなメンバーのひとりジョージ=ハリスンは,そのような徴税制度に対する究極の皮肉としてこの曲を作った。
この『グロウ・オールド・ウィズ・ミー』は,ジョン=レノンが凶弾に倒れたのち,1984年になってアルバム『ミルク・アンド・ハニー』の中で発表された。 生前に録音されていたデモもテープであるため音質は非常に悪いが,その歌詞は彼独特の率直な美しさに満ちている。 “愛する人と一緒なら年を取ることもまた楽しみ”−日本の老齢社会にも一日も早くこう言える日が訪れてもらいたいものである。
「日本国憲法の三大特徴を述べよ。」 と言われれば,誰もが 「『国民主権』『戦争放棄』『基本的人権の尊重』でしょう。常識ですよ。」 と答えることだろう。 しかし,それでは,その『国民主権』とは,具体的にはどういうことであろうか?実は難しい問いである。 それでも簡潔に言えば,それは「日本においては国民が一番偉いということ」すなわち,日本の最も大切なことは国民の選挙によって選ばれた国会で決まるということである。しかし,これはいつ始まったことだろうか? それは日本においては第二次世界大戦後ということになる。それ以前は『天皇主権』であったことは高校生にとっては常識であろう。 しかし,世界の中で『国の主は国民』という考え方が出てきたのは,やはり一番はっきりしているのは1789年に始まったフランス革命からである。民衆が立ち上がり,王や貴族を打ち倒し,自分たちの政府を作った革命後のことである。早い話が「力ずく」の事件であった。 漢字で『革命』というのは,中国で,天から支配権を与えられていた王朝の徳が弱まったので,天がその命令を改革して,別の人物(王朝)に支配権を与えるという意味であるが,英語でrevolutionというのは“くるっと回る”“ひっくり返る”という意味の言葉のrevolveからきている。 つまり,支配されていた人たちが新たに社会の支配者になる,社会がひっくり返るという意味である。そこにはどうしても“力ずく”にならざるをえない側面がある。 「でもそんなのいやだわ。何だか怖いもの。」という人もあろう。しかし,そういう歴史がなかったら,日本にもまだ殿様がいて,我々は額に汗して働いて高い年貢にゼーゼーいっているかもしれないのだ。 “革命”というと何か血なまぐさいものを感じるが,結局はその土地に暮らしている人たち自身が自分たちの運命を決めることができる社会をつくるということである。 これは民主主義の基本的なルールであり,"Power To The People"はまさにそのことを歌っている。 確かにこの曲は,かなり共産主義的なニュアンスを持って歌われている。手に角材を持って,ヘルメットをかぶって,タオルで顔を隠して,デモしながら歌っているようなところはあるが,結局は国民主権というのは"power to the people" ということではないだろうか。 功利主義哲学の祖イギリスのベンサム(1748〜1832)は,快楽や苦痛は客観的に計量可能なものであり,人生の目的は「最大多数の最大幸福」の実現であるとした。 (参考:ビートルズの『ヘイ・ブルドッグ』"Hey Bulldog" 1969 には『ある種の幸福は,マイルの単位で測ることができる』という功利主義的な歌詞がある。) それを政治思想に敷衍するならば,民主主義とは『一人でも多くの人々が,少しでも多く幸せになること』ということではないだろうか。その意味で『民衆に力を』というスローガンは,民主主義の基本理念とも絡み合う。
ジョン=レノンはビートルズの精神的リーダーであり,バンド解散後は妻となった日本人前衛芸術家小野洋子とともに平和運動に身を投じた。 この曲は1972年にシングルレコードとして発表されたものであるが,内容が差別的であるとされて放送禁止に指定された。 実際日本語タイトルは『女は世界の奴隷か』と疑問文になっているが,原題は『女は世界の黒んぼだ』と肯定文になっている。(なおここで断っておくが,英語の"nigger"という言葉はそれ自体が黒人に対する差別用語であり,ここでは「奴隷」の意味で使われている。したがって訳出する上で困難があったが,ここでは原文の意を尊重して,敢えて「黒んぼ」という言葉を使った。) ただし当然のことながら,レノンがこの曲で『女は世界の奴隷だ』と言うとき,それはあくまでも反語表現であって,彼は男性社会の矛盾をつくためにこのような過激な表現を使ったのである。 この曲の中で歌われている情景は,我々の身の回りに日常的に見受けられる光景である。この曲には,口では女性の尊重を叫びながら実際には女性の真の人格を認めようとしない貧しい男性優位社会への激しい嫌悪と風刺が込められている。 死の直前のアルバム『ダブル・ファンタジー』の中の,"Woman"の一曲を聞けばそれがよく分かる。
1969年,ビートルズは当時ポピュラー音楽では珍しかった二枚組のアルバム『ザ=ビートルズ』を発表した。 このアルバムはジャケットが真っ白であったために通称『ホワイト・アルバム」と呼ばれている。 あらゆるタイプの音楽が詰まったこのバラエティ豊かなアルバムの中で,異彩を放つのがアコースティック・ギターのオープン・コードを巧みに使用したこの『ブラックバード』である。 マッカートニーはここで,新たな局面を迎えつつあるアメリカの黒人運動に心からのエールを送っているといえよう。 また,"Evony And Ivory"に関しては,ポール=マッカートニー(アイルランド系の白人)は,1982年に発表したアルバム『タッグ・オヴ・ウォー』("Tug Of War", 「綱引き」の意)からの最初のシングル・レコードとして,この『エボニー・アンド・アイボリー』をリリースした。単純で覚えやすいメロディに乗せ,白人と黒人の人種問題をピアノの白鍵と黒鍵に例えて, 「白と黒は ピアノの上では 完璧な調和をもって並んでいるのに
と,理想主義的に高らかに歌い上げ,世界的な大ヒット曲となった。 彼はこの曲を歌うに当たり,アメリカを代表する黒人歌手のスティーヴィー=ワンダーにデュエットを要請したところ,ワンダーは快くそれに応え,ここに世紀の大デュエット・チームが結成された。 我々はこの曲から,“白人だ黒人だと差別・区別しあうことはことの善悪の問題以前にまったくナンセンスなことであり,当たり前のこととして,世界にはさまざまな人間が住んでいて,その間には優劣の差は全くない”というマッカートニーの意志をくみ取りたい。
この曲は,その名前からアイルランド(ケルト)系であることが分かるポール=マッカートニーが,1972年のイギリスのアイルランド民族運動弾圧事件(いわゆる「血の日曜日」)に憤慨して発表した曲である。しかし,発表当時イギリスBBC(国営放送局)はこの曲を放送禁止に指定した。 アイルランドは古くから中央ヨーロッパの主要民族であったケルト人が来住し,原住民と混血し,ゲール人と呼ばれる民族となり,その後大陸に成立したローマ帝国や4世紀からのゲルマン民族大移動の影響を余り受けることなく独自の文化を発展させていた。 5世紀には聖パトリックによってローマ=カトリック教が伝えられ,「聖者と学者の島」といわれるようなカトリックの一大中心地となった。 中世においては第二次民族移動ともいわれるノルマン人の来襲の波の中で苦しみながらも,何とか独自の歴史を守り通していたが,同時期に,対岸のイングランドにアングロ・サクソン人の王国が成立するとやがて圧迫を受けるようになり,12世紀のイングランド国王ヘンリー2世の時代からは実質的にはイングランド王国の支配を受けるようになった。 近代になると,イングランドは1534年首長令の発布により“イギリス国教会”が成立し新教国家となった。また,商工業の発展により国内のピューリタン(清教徒=カルヴァン派新教徒)の勢力が増加し,1642年に始まったピューリタン革命は49年に国王処刑〜共和制の成立という形でピューリタン=議会派の勝利に終わった。 すなわちこの時点において,アングロ・サクソン民族・新教(ピューリタン・国教会)のイングランドと,ケルト民族・カトリックのアイルランドの間には大きな差異が生まれていたのである。 ところが,17紀にはイングランド人の北アイルランド(アルスター地方)への植民が進み,1640年までに3〜4万人の移住が行われた。 ところで,やがて共和制イングランドで独裁権力を握ったオリヴァー=クロムウェルは,1649年アイルランドの完全制圧を行い,土地を没収し,ここにアイルランド王国は消滅し,やがて,イングランド系の新教地主がアイルランドの土地の約八割を所有しアイルランド人は貧困にあえぐという状況が生まれた。その後アイルランドでは,1845年の大飢饉により多くの餓死者を出すといった悲劇もあった。 19世紀後半の“自由主義の時代”になると,イギリス(1801年,イングランド王国とスコットランド王国とが合併し,アイルランドの議会が廃止され,“グレート・ブリテン及びアイルランド連合王国”が誕生した)でも改革が進み,主に自由党の主張でアイルランド自治に関する法案が幾度も提出されたが,第一次世界大戦以前には自治獲得はかなわなかった。 その後,シン=フェイン党などの独立運動組織が生まれ独自の運動を展開し,第一次大戦後の1922年ついに“アイルランド自由国”としてイギリスからの独立を遂げた。 その後エール共和国(1937,49年から“アイルランド共和国”を併称)と改称し,48年にはイギリス連邦を脱退し独自の歩みをはじめたが,北アイルランド(アルスター地方)は依然としてイギリス領にとどまり,その“返還”問題をめぐってIRAなど過激派によるテロ事件が後を絶たない(その後IRAは2005年に武装闘争の終結を宣言した。)。 なお,名前の最初に"Mac(Mc)""Fitz"(ともに「息子」の意)や,"O'"がつくものは多くはアイルランド系の人物である。たとえば,MacDonaldは“ドナルドの息子”,Fitzgeraldは“ジェラルドの息子”の意味で,アイルランド系によくある姓である。 ビートルズのメンバーは,すべてアイルランドに面した港町リヴァプール市の出身であるため,四人ともアイルランド系の家系の出身であるとされる。たとえば,ジョン=レノンのLennonという姓も,古くはO'Lennonであったといわれる。
注:1〜4とも,調子の良い,韻を踏んだ言葉を次々並べているだけで,それぞれの言葉に特に意味はないが,あえて訳出すれば以下のようになる。 注1/
注2/
注3/
注4/
この曲は作詞・作曲ジョン=レノン & ポール=マッカートニーとなっているが,これはビートルズのデビュー前にこの二人が「どちらか一方が作った曲でも二人の共作名義にする」という取り決めを結んでいたせいであり,実際にはジョンの曲。 まだビートルズ解散以前の曲であるが,実質的なジョンのソロ・デビュー作品。 1969年の結婚後世界各国を巡り,報道陣を招待してベッドの上から平和をアピールする“ベッド・イン”の途上で作られた反戦歌である。 世界中ではいろいろな人がいろいろなところでいろいろなことを勝手気ままにしゃべっているが, 「でも 結局ぼくらが言いたいことは
『平和にも チャンスを与えてやろう』
という非常にシンプルな,平和へのメッセージ・ソングである。 上記の内容は「ロックで学ぶ現代社会」の中の一部です。 Special Thanks To Mr. Naoto Ito |